日蓮宗とは

日蓮宗とは

日蓮聖人(にちれんしょうにん)の生きた鎌倉時代は、お釈迦さまが亡くなったあと、仏教が正しく理解されず、悪い教えが広まって人々を苦しめる末法(まっぽう)という時代に入っていました。

生きることと死ぬことの意味、地震(天災)や戦さ(人災)で人々が苦しむわけを知るため、日蓮聖人は仏教の経典をすべて読みました。 そして、お釈迦さまが悟った真理は、法華経(ほけきょう・妙法蓮華経)に書かれている、と知りました。 法華経には、お釈迦さまは遠い昔から未来まで生き、永遠にあらゆるものを救いつづける、特に末法の人々を救う、と書かれています。

日蓮聖人は、末法悪世の人々を救う良薬である法華経(妙法蓮華経・みょうほうれんげきょう)を広める役目が自分にあると自覚し、法華経を心に受け入れ、口に唱え(南無妙法蓮華経)、実行する、と誓いました。

『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』で人と社会の幸せを鎌倉幕府に訴えたあと、たくさんの妨害にあったのですが、信者であった甲斐の国の地頭・南部実長の招きにより、文永11年(1274)5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、弘安4年(1281)11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、「身延山久遠寺(くおんじ)」と命名されました。現在の日蓮宗総本山です。


藤原親安が写したという日蓮聖人の画像。
1281年、日蓮聖人60歳の姿であるといわれています。
法華経の行者(ほけきょうのぎょうじゃ)立正安国論として生き通した日蓮聖人は、弘安5年(1282)、数え年61歳で亡くなった後も、末法唱導師(まっぽうしょうどうし)と呼ばれ、お祖師(そし)さまと慕われて、いまでも人々を法華経の信仰に導いています。
その流れを正しく汲んでいるのが、日蓮宗です。

立正安国論